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歴史に照らし合わせてみる


「歴史の最も重大な教訓は、人類が歴史の教訓を学ばないと言う事である。(ウィンストン・チャーチル)」


日本における工業化(産業革命)は明治に起こりました。工業化によって手工芸は駆逐され、工芸は廃りました。工芸衰退の要因としては、もう一つ、西洋芸術概念を日本が導入したこともあるでしょう。生産力で工業と競争できなかっただけではなく、芸事についての価値観の西洋化が進んだために、江戸期からの日本の芸事のあり方は”古いもの”という感覚になったわけです。競争力のなさと、価値観の変化という、ダブルパンチで手工芸は衰退に向かったわけですよね。

しかしそれでも今日までその火を消すまいと活動してきた人たちがいたので、今も金工、刀工、陶芸、漆芸などの伝統工芸や、能楽、歌舞伎、文楽、伎楽などの伝統芸能を見たり学んだりすることができてます。日本では経緯や背景のまったく違う、西洋芸術と地元芸能が共存してきましたが、それは自然にそうなったのではなく、それについて努力してきた人たちがいたことによって、今もそういう状況が存続しているのです。

今日ここで書きたいのは、IT革命は産業革命と同じような大きな変革で、今僕らは明治期の工芸家たちとよく似た状況にあると観ることができることです。こういうことは大体、後々になって分かることであって、現時点でそれを意識している人はあまりいないと思います。でもそこを意識することによって、自分がどういった方向を選択しうるか?ということを、ある程度、見定めることができると思うんです。

例えばここ数年、装身具など立体造形物を作っている人の間で話題に上がるもので、3D造形ソフトがあります。画面上で3Dデータを造れば、それをどのような大きさにでも立体化できます。知られた装身具のメーカーはすでにそういった手段で商品を作っていますし、僕らのような個人作家はあとは3Dプリンターの価格がどんどん下がっていくのを待つだけです。去年だか一昨年くらいから、もう高性能かつ無料のソフトが出回っていますが、これはけっこう衝撃的でした。

ここで上記の歴史を思い出してほしいんです。それは伝統的手法を取るか、工業化を取るか、という二つの選択が明治期の人たちにあったから、今日でも伝統工芸が存続しているということです。ある刀装具出身の彫金家が日本のジュエリー黎明期に取った方向は、主に工業化(量産化)に順ずる方向でした。

しかし刀装具の出身ならば、銅器や漆器を作っていた人たちのように伝統的手法を固守する方向もなかったとは言えないと思います。それは人それぞれであり、またその人の置かれている状況やその分野によりけりだと思いますが、最終的には本人の意思の問題なんではないでしょうか。

問題は、高性能の無料3Dソフトのようなものが出てきた時に、僕たちが「手工芸的ありかたを捨ててITに乗るしかもう他に手がないのでは」と思って慌ててしまうことです。手工芸のままで行くか、手工芸を捨ててITに乗るか、そこには依然として選択肢はあります。

歴史に照らし合わせれば、それはけっきょくのところ、自分自身はどのように生きて行きたいか?という意思の問題であり、また将来を自分自身がどう作るか?という気概の問題であると思います。

インターネットによってモノの売り方に工夫や創造の余地が大きくなり、またメジャー、マイナー、インディーズ、大規模、小規模といった区別に意味がなくなってしまった以上は、自分が売りたい商材の製造方法にはどの方向にも選択肢があると考えるべきだと、僕自身は思っています。

社会情勢の波にもまれて、大きなポテンシャルを持っているのにそれを発揮できないで悩んでいる人はいっぱいいるんではないかと思います。自分もモノ作りを仕事にしようとやりはじめたはいいが、長い間モンモンとしてきました。ここ数年、そういう人が他にもいるということを知りました。そしてみんな自分だけがおかしいのか?と悩んできたのです。

情勢をうかがってしまうがために自分の力が使えないでいるよりも、たとえ10年後、20年後に「あいつらは古い」と言われようが、自分の能力をうまく発揮しながらモノを作って生きていく方が、ずっと面白いんではないでしょうか。





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レトロフューチャー

「スチームパンク」っていうのがあるでしょ。社会が電子化せず、産業革命以来の蒸気機関のままで高度に発達した世界を想像した、SFのジャンルです。レトロフューチャーってやつですね。前の記事を書いてて、ふとそれを思い浮かべたんだな。

欧州圏で起こった産業革命から1世紀遅れて、日本が国際社会に舵を向け始めた明治初期は、日本は近代化(欧米化)に取り掛かったばかりで工業化していなかったから、工業的な成果もまだありませんでした。その時、日本が世界にアッピールする手段に用いたのが、江戸期以来の手工芸による美術工芸です。そしてそれが欧州でジャポニズムという大きな潮流になっていったわけですよね。

ようは、世界の最初の工業化による発展と、一瞬でしぼんだ美術工芸分野の異常な発達とは時期がかぶってる。日本語に「美術」や「工芸」という言葉が現れたのもその頃です。

だからレトロフューチャー的な骨格を持つ映画の中の調度品や小道具は、工芸分野の理想を表していることがよくあります。最近だと例えば「ライラの冒険」とかがそうかな?。18世紀から19世紀をベースにしたレトロフューチャーにとって、当時の美術工芸品は重要なモチーフになってると思います。

実際の歴史上では工業化が進むと、手工芸を担っていた小規模工房はどんどん駆逐されて美術工芸は廃りましたけど、そこで僕がフと思ったのはアレです、工業分野が停滞して美術工芸分野がそのまま発達していったら、どんな作品が生まれるかなーというSF…w。

ある意味、僕がやりたいのはそんなイメージに近いんだな。

たとえば僕が金属の鋳込みに使っている遠心鋳造機というものも、だいたいその頃に発明されたモンです。それによって鋳型の背圧や金属の表面張力によって昔は鋳造できなかったものも鋳造できるようになり、また金属部品の複製生産が可能になって、航空機や自動車を大量生産できるようになったのです。

しかし僕はこれを手工芸的にしか使ってません。そして採算性材料をことごとく避ける方向に走っちゃってます。ある意味レトロフューチャー的要素とかぶってる。

レトロフューチャーの魅力はやはり、以前に書いた複合 /折衷というテーマにあると思います。





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最近の取り組み

これまで合成樹脂でやってた工程を全て漆に置き換えたいと思っとりまうす。
普段の仕事(食うための方の仕事)では常に先端技術が反映された合成樹脂材料を扱っているので、その物性的な限界は感覚的にわかってます。あれらはあれらですごい材料ですが、僕のやろうとしている文脈とはどうしても合わないようです。それでだんだん自分のなかで漆が大きくなってったんですね。こんな物質、他にないモンね。

課題の一つは、木と金属の接合に漆を使うことです。木に漆、金属に漆はそれぞれ強くくっつけることができます。漆は木には常温・高湿度環境下で固化してくっつきますが、金属には基本的には焼付けをしないと強く密着しません。常温・高湿度環境下では金属にくっつかず、焼付けでは木がダメになってしまいます。そういうことで漆で金属同士や木材同士をくっつけている例は大昔からあっても、漆で木と金属をくっ付けている例はないようです。それを指輪の中で実現させたいと思ってます。

木と金属の指輪を漆で作るという考え自体はだいぶ前からあって、販売した作品の一部に漆を使ってたこともあるんですが、狙ったほどの物理的効果も得られず、技術的にも採算的にもそれ以上は無理っぽい、ということで数年前に一度あきらめていました。

最近はもう作る時点では利益のことは考えないというハラで作っているので、これまでに集めてきた資料を参考に、また取り組み始めたんです。

ちょっとずつ実現可能な条件や方法を見つけていって、以前はムリだと思ってものがちょっとづつ実現に近づいてきました。やっぱり何でもあきらめないこったなー。手法が完成したわけでないので、まだ形にできると決まったわけじゃないけどね。
普段の仕事しながら、コツコツ実験・検証してます。





僕が昔から一貫して作りたいと思っているのは「こんなブツが現実にあったらスゲェ、」と思うようなものです。でもそれは経済的利益が頭にあるうちは実現しないんですね、残念ながら。採算が合うことがないから。だからこそ「こんなもんがあったら欲しい」というものは、世の中にはメッタにないわけですけど。あってもそれはたいて博物館の中とか。

金で手に入る全てのものは、作り手や売り手の採算が成り立つという条件の中でしか形にはなりません。したがって経済的な成功が何よりも優先される現代社会で、作家が自分の芸をそそぎ込んだ工芸品が、一般庶民の流通に乗ることはほとんどないです。この不況下で、そういう作品を作ろうという人間がまずいないではないかと思います。

文化や個人の芸は金で買えません。芸を持つものが、自己の芸を追求し続けること、またそれができる環境があることによってしか成り立たないものです。

だから僕のような考えの人は、こういう取り組みとは別に食っていくための手段は持っている必要があります。しかし以前は生活のための仕事は別に持っていても、いずれはコッチの仕事一本で食えるようにならなければ…という強迫観念がありました。だから漆を使ってやるという考えも頓挫したんです。しかし採算や経済的利益という束縛の中では、作ることが面白い、楽しいと感じることは一度もありませんでした。できあがる作品も、今見るとやっぱりどれも中途半端なんだよね。

しかし「食えようが食えまいが自分はこれをやる」という意識に変わってから、取り組みが面白いものに変わってきました。漆に関しても、そういう意識が実際の課題を一つづつ解決して行く力になっていると思います。

何はなくとも自己の芸を磨いていくという意識は強力で、あぁ、なんか人間の文化や豊かさっていうのは本来、こういう気概から出てくるんだなぁって感じてます。モノがあふれているのに幸せじゃないっていう今の日本には、コレがな無さすぎるのかもしれない。そして経済的な不況が、その態度をより硬直化させている。でも自分も社会と一緒になってそう硬直化してちゃぁ、やっぱダメなんだやね。

僕は社会人になってからは不況という環境しか体験したことがない世代です。ロスジェネですね。僕自身は家業の小さい会社にいるので、給料をまともにもらったという経験すらほとんどありません。だから経済的な危機に対して硬直化するという光景にはもう、慣れきってます。そしてその硬直は文化を腐らせはしても、何も生みはしないのです。

「武士は食わねど高楊枝」的な態度は大事ですね。やせ我慢の方の意味じゃなくてね。





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なんか出てきた

仕事場のロッカーを漁ってたら、昔やった木や革の指輪の試作や失敗品とか、塗料のテストピースが大量に出てきた。スッカリ過去の忘れ物になっとったねー。

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根本的に材料選択に問題がある、何をやっても解決の方向が見ええてこない、というこの当時のイヤな気分を思い出しちゃったな。

あれから何年かけてんだろねー。

これからカゼイン+漆の接着剤を作る。



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片切彫りの帯止め


うちは昭和のはじめくらいまで神楽坂あたりの芸妓の置き屋をやってたそうだ。その頃の名残でこんなのがまだあった。

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片切彫り(と言うんだと思う)でザクロの彫られた帯止め。銅板でできていて、ザクロの実の割れた部分だけ銅の色。他は着色と鍍金がされている。葉っぱと裏全面は黄色いんだけど、この時代に真鍮メッキなんてないよね??と考えると洋白メッキが黄色くなっているんじゃね??と友人らと予想した。

銅製だがほとんど緑青も吹いておらず、軽く重曹で擦っただけでとても綺麗になった。こんなに安定しているならおらも色金はやらない手はないと思ってる。最近は銅合金で何しよー、漆で何しよーとばかり考えている。

ばーちゃんにいつ頃からあるものか聞いたら、モノ自体は昭和初期かそれより前に作られたものみたい。

たいしたモノではないが、毛筆の線の感触が忘れられない僕にはこの片切彫りってのはけっこうタマランものがある。見ていて気持ちいい。とても参考になる。



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布着せ指輪

油彩画用の帆布で指輪を作ったら良さそうと思って、キャンバス地のサンプルを画材屋でいっぱいもらってきて、ためしに作ったことがある。コーヒー入れる麻袋とか、古着とかの渋いイメージですね。

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レジンの裏打ちに貼り付けて固めたんだけど、カチカチにしないで繊維への樹脂のしみこみ具合を上手く調整すると、布の感触が残って肌ざわりイイんです。水にも強いし。

そういえば漆芸で布着せというのがあるので、これって木製指輪の強度稼ぎにも使えるんだなとおもた。





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複合 /折衷というテーマ

指輪を作って売ることを始めてたぶん8年くらいになると思うんだけど、やってるうちに自分でだんだんはっきりしてきた自分のテーマがいくつかあります。その一つに複合 /折衷というものがあります。

コンポジットする素材(=物質材料、モチーフ、アイデア、なんでも)の方向には色々な軸が考えられます。

  • 洋の東/西
  • 新/古
  • 人工/天然
  • 生物/無生物
  • 有機/無機
  • スケールの大/小
  • 物質/精神



などですね。

僕らは日本人だ、つっても江戸時代人じゃありません。自国の文化すら知らないことがたくさんあって、その世界に入ってみると、まるで異世界のモノのように感じることもよくあります。

ナショナリズムだけで見れば、中国やカンボジアは外国ですが、時間軸も加えてみるなら江戸時代だって僕らからしたら外国と変わりありません。つながりのある異文化であるという意味では、位置・距離という軸においても時間という軸においてもそこに隔たりさえあれば、全ての文化は異文化です。

今はインターネットがあるから、そのどこからでも学ぶことができるという点で、これまでに誰も経験したことのないモノ作り環境を生きているわけです。だから、だんだんそこを意識させられるようになったんですね。創造、工夫という行為には「軸の反対側のものを同居させると作品が光る」という原則を見つけることができるのです。その工夫の原則を最大限に生かすのに、今は最適な時代環境にあると見ることもできます。

僕は東南アジアの装飾文化がすごく好きなんですが、インドと中国の中間ぽくて、しかしそのどちらでもないというところが好きです。

和風にとか、洋風に、というステレオタイプに従って仕事をするよう求められるのが一番嫌い。それは「自分の創造力を使うな」といわれているのと同じだからね。




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天然材料の良さって何だろって話


”つい古いものとイメージされてしまいがちな漆の世界であるが、各時代の各制作者達は常に前例のないデザインを考え出し、前の時代にはない技術を生み出し創作を重ねていることが作品を通じて伝わってくる。文化財クラスの作品となると一点の作品を作るのに教科書的な基本技法・材料の使い方をしているものは一つもないといって良いくらい独創性にあふれている。”
〔漆の文化: 受け継がれる日本の美 / 室瀬和美 著〕


僕は木材を使って指輪を作っているんですけど、木ではあっても実用の装身具として作っているので、耐久性について試行し続けている課題があります。指にはめて使用する装身具なので、特に水分や細菌や塩分から守る、もしくは水分と共存させる必要があるんです。木だけならまだしも金属も一緒に使うのでなかなか難しいんですね。そこをクリアして100年程度の実用性は保たれるべきということを自分の木製指輪の作品課題としています。

単純に木を指輪の形に削って金属で装飾するだけでは、ペンダントとか観賞用ならよくても実用の指輪としては長持ちは期待できません。そこで指輪に長期の耐久性能を持たせるために、高分子材料をいかに木材と複合させるかということになるのですが、その高分子材料には有機系、無機系、コンポジットなどの合成樹脂、天然樹脂、乾性油など色々の選択肢があります。

僕は「人工物は体に悪く、天然物なら安心」みたいな根拠ない決め付けで材料を眺めはしませんが、しかしあらゆる材料を広く調べて使ってみると、組成やアクションの複雑な天然材料を使う方が、あらかじめ化学的に操作された合成材料を使うよりも何倍も面白く、創造力を刺激されるという面はやっぱりあるんです。材料と自分の目的をいかにして繋げるか?という作業が、おのずと自分の作品に独創性を与えることにもなるからです。

現在世間で主流になってる合成高分子材料の特徴は、物理的な安定性と、容易に早く形成ができるところにあります。それは芸術的な仕事をするために発達したのではなく、早く安く正確に作るために発達してきたからです。これらは20世紀~現在までの社会的事情を背景に発展・研究されてきたもので、したがって経済的成功を目的とした仕事として木の装身具を作るのなら、それらを使う方が適しているに決まっています。現時点での最先端の材料に目を向ければ、材料と自分の目的を繋げるために、それほど苦労しなくても済みます。

しかし自己の芸として手工芸をやっている者としては、使っていて感じる面白味、感触、創出される結果の差の大きさは無視できないほど大きいものです。それに材料と自分の目的を繋げる作業の中に、工夫の余地がちょっとしかなければ、独創性を表出させることは不自然で無理のある取り組みになるのです。

オイルニスや漆を使っている時のワクワク感。それを使って問題をどう解決できるかと調べ、考えている時の楽しさ。「この面白味の決定的な違いって、何なんだろうなー?」と前から漠然と思っていたのですが、上記に引用した漆器に関する一文を読んでそれが何なのかにやっと気がつきました。

人工合成材料は入手すると必ず説明書が付いており、そのとおりの操作をしなければ必要な機能を発現する保障がないんです。だから合成材料にはこの「創造力を働かせる余地がない」わけで、それがどこかウソ臭く、そして使っていて面白くないんですね。

同じように僕は最先端の工具や機器についても、ほとんど面白味を感じたことがないんです。こうして考えてみると、それは最新の材料・機材がいつも「誰にでも簡単に使える」ように作られ過ぎているからなんですよね。そこに「自分の芸、工夫、創造」はほとんどいらないんです。

20世紀は経済的成功だけが仕事の唯一の目的であった時代だったこと、そしてそれは今振り返るとあんまり面白い世界じゃないなぁ、ってことを、材料がはっきりと語っていると思うのね。







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